大切なあの方へ

あなたの想いを届ける贈り物

大切なあの方へ

あなたの想いを届ける贈り物

各種メディアにてご紹介いただいています

各種メディアにて
ご紹介いただいています

・一流誌『Qualitas』

Qualitas

・TOKYO MX TV『HISTORY』

HISTORY 株式会社ComRade 伊藤清治

・文化放送AWARD グローバルグロース賞受賞!

・経営者誌『COMPANY TANK』

   (2026年1月号)への掲載決定

※転売・再販を目的としたご購入は固くお断りいたします。

※おひとり様2セットまで。

STHUTHIY(ストゥーティー)は、
「ありがとう」の想いから生まれた
セイロンティー

〜二つの島国を結んだ、静かな奇跡〜

ありがとうが巡る、二つの島の奇跡

1951年、日本がまだ焦土と混乱から
立ち上がろうとしていたとき、
世界は冷たく日本を見つめていました。

そんな中、
サンフランシスコ講和会議で
スリランカ代表のジャヤワルダナ氏が
静かに語った言葉が、
日本の未来を大きく変えました。

「憎しみは憎しみによって
止むことなく、愛によって止む。」

仏陀の言葉を引用し、
日本への賠償請求を断固放棄した
スリランカの姿勢は、
戦争を越えて
“共に未来をつくろう”
という大きな希望となりました。

この勇気ある友情の一言は、
日本人の心に深く刻まれ、
両国の間には“ありがとう”の絆が生まれます。

それから70年以上。
日本は感謝の気持ちを行動で返し続けてきました。

港、道路、橋、病院
――1980年代から日本はスリランカ最大の
経済支援国として、
港湾や道路の
インフラ整備、医療・教育、電力・灌漑など
社会の基盤を支え、
ODA(政府開発援助)の累計は
1兆円を超える規模になりました。

コロンボ港やマナンピティヤ橋など、
現地の人々の暮らしを変えた
インフラの多くが
「日本の援助でできたもの」として、
今も通貨の紙幣や国の
象徴的な施設に刻まれています。

日本が困難に直面した2011年の東日本大震災では、
スリランカが
“今こそ恩返し”
と数百万袋の紅茶と義援金を送り、
国を挙げて祈りを捧げてくれました。

両国は時代ごとに形を変えて支え合い、
「ありがとう」
が幾度も行き交う特別な関係を育んできました。

スリランカの人々は
今も日本人に深い敬意と親しみを持ち、
街を歩けば温かな笑顔と
“STUTHIY(ありがとう)”
の言葉が迎えてくれます。

なぜスリランカなのか?
困難な時に本当に寄り添いあい、
善意でつながり続けてきたこの国こそ、
日本にとって“世界一近い心の友”だからです。

STHUTHIY(ストゥーティー)は、
「ありがとう」の想いから生まれた
セイロンティー

〜二つの島国を結んだ、静かな奇跡〜

ありがとうが巡る、二つの島の奇跡

1951年、日本がまだ焦土と混乱から立ち上がろうとしていたとき、
世界は冷たく日本を見つめていました。

そんな中、
サンフランシスコ講和会議でスリランカ代表のジャヤワルダナ氏が
静かに語った言葉が、日本の未来を大きく変えました。

「憎しみは憎しみによって止むことなく、愛によって止む。」

仏陀の言葉を引用し、日本への賠償請求を断固放棄した
スリランカの姿勢は、
戦争を越えて“共に未来をつくろう”
という大きな希望となりました。

この勇気ある友情の一言は、日本人の心に深く刻まれ、
両国の間には“ありがとう”の絆が生まれます。

それから70年以上。
日本は感謝の気持ちを行動で返し続けてきました。

港、道路、橋、病院
――1980年代から日本はスリランカ最大の
経済支援国として、
港湾や道路の
インフラ整備、医療・教育、電力・灌漑など社会の基盤を支え、
ODA(政府開発援助)の累計は1兆円を超える規模になりました。

コロンボ港やマナンピティヤ橋など、
現地の人々の暮らしを変えたインフラの多くが
「日本の援助でできたもの」として、
今も通貨の紙幣や国の象徴的な施設に刻まれています。

日本が困難に直面した2011年の東日本大震災では、
スリランカが“今こそ恩返し”
と数百万袋の紅茶と義援金を送り、国を挙げて祈りを捧げてくれました。

両国は時代ごとに形を変えて支え合い、
「ありがとう」
が幾度も行き交う特別な関係を育んできました。

スリランカの人々は
今も日本人に深い敬意と親しみを持ち、
街を歩けば温かな笑顔と
“STUTHIY(ありがとう)”
の言葉が迎えてくれます。

なぜスリランカなのか?
困難な時に本当に寄り添いあい、
善意でつながり続けてきたこの国こそ、
日本にとって“世界一近い心の友”だからです。

Birth Story

マンガ・動画で分かるSTHUTHIY誕生秘話

Birth Story

マンガ・動画で分かるSTHUTHIY誕生秘話

Commitment

3つのこだわり

幻の茶葉

シルバーティップス/ゴールデンティップス

スリランカの霧に包まれた中央高地、
夜明け前の30分間だけ手摘みされる、
銀色と金色の新芽たち。
それがシルバーティップス、
ゴールデンティップスです。

スリランカ全体で毎年作られる
紅茶のわずか0.001%未満
――世界中に数百キロしか存在しない、
まさに幻の茶葉。

熟練の女性たちが一芯一葉を選び抜き、
そっと摘み取るこの新芽は、
英国王室や日本の皇室をはじめ、
ヨーロッパや中東の
王侯貴族の晩餐を彩ってきました。

かつて英国では、
シルバーティップスは金と同じ重さで
取引されたという記録が残ります。

パリのホテルでは1杯数万円でサーブされ、
予約の取れない体験となり、
ロンドンの五つ星ホテル“ルーベンス”では
1ポット£500(約9万円)で
話題となりました。

日本でも皇室晩餐会や国際サミットの
乾杯に供され、
その香りと余韻の繊細さは、
世界の賓客たちの心を静かに
打ち続けています。

“ほんのひと口で広がる、静かな奇跡”
それは、気候も土地も、そして友情も
奇跡的に重なって初めて生まれるもの。

たった一杯で、遥かなる歴史と伝説、
そして最高のおもてなしが味わえる。

今、この一瞬の出会いが、
あなたの新たな物語となりますように。

スリランカの霧に包まれた中央高地、夜明け前の30分間だけ手摘みされる、銀色と金色の新芽たち。
それがシルバーティップス、ゴールデンティップスです。

スリランカ全体で毎年作られる紅茶のわずか0.001%未満
――世界中に数百キロしか存在しない、
まさに幻の茶葉。

熟練の女性たちが一芯一葉を選び抜き、そっと摘み取るこの新芽は、英国王室や日本の皇室をはじめ、
ヨーロッパや中東の王侯貴族の晩餐を彩ってきました。

かつて英国では、
シルバーティップスは金と同じ重さで取引されたという記録が残ります。

パリのホテルでは1杯数万円でサーブされ、予約の取れない体験となり、
ロンドンの五つ星ホテル“ルーベンス”では1ポット£500(約9万円)で話題となりました。

日本でも皇室晩餐会や国際サミットの乾杯に供され、
その香りと余韻の繊細さは、世界の賓客たちの心を静かに打ち続けています。

“ほんのひと口で広がる、静かな奇跡”
それは、気候も土地も、そして友情も奇跡的に重なって初めて生まれるもの。

たった一杯で、遥かなる歴史と伝説、
そして最高のおもてなしが味わえる。

今、この一瞬の出会いが、
あなたの新たな物語となりますように。

政府認証

スリランカ政府が唯一認める“ライオンロゴ”

スリランカ政府が唯一認定する、
紅茶品質の最高峰。

それが、剣を高々と掲げた
「ライオンロゴ」です。

この紋章は、
100%スリランカ産の茶葉であること、
そして香り、味わい、製法に至るまで、
国家が定めた厳格な品質基準を
すべて満たした証。

世界に流通する
“セイロンティー”と呼ばれる紅茶の中でも、
このロゴを冠するものはごくわずか。

名乗ることを許されるのは、
選ばれし茶葉だけです。

ライオンロゴは、
ただのデザインではありません。
それは、産地の誇りと、職人たちの矜持、
そして紅茶文化への
深い敬意が結晶した“しるし”。

この印が添えられた紅茶は、
しばしば英国王室のティータイムや、
国際晩餐会にも供され、
その確かな品質と上質な余韻で、
多くの賓客を魅了してきました。

あなたの手元に届くその一杯にも、
その精神は静かに息づいています。

目印は、小さなライオン。
けれどその内側に宿るのは、
真の信頼と、時代を越えて愛される風格に。

スリランカ政府が唯一認定する、
紅茶品質の最高峰。

それが、剣を高々と掲げた「ライオンロゴ」です。

この紋章は、
100%スリランカ産の茶葉であること、
そして香り、味わい、製法に至るまで、国家が定めた厳格な品質基準をすべて満たした証。

世界に流通する
“セイロンティー”と呼ばれる紅茶の中でも、このロゴを冠するものはごくわずか。

名乗ることを許されるのは、選ばれし茶葉だけです。

ライオンロゴは、
ただのデザインではありません。
それは、産地の誇りと、職人たちの矜持、そして紅茶文化への深い敬意が結晶した“しるし”。

この印が添えられた紅茶は、
しばしば英国王室のティータイムや、国際晩餐会にも供され、
その確かな品質と上質な余韻で、多くの賓客を魅了してきました。

あなたの手元に届くその一杯にも、
その精神は静かに息づいています。

目印は、小さなライオン。
けれどその内側に宿るのは、真の信頼と、時代を越えて愛される風格に。

匠の技と大地の恵み

富山県高岡市を代表する高岡鋳物

なぜ高岡鋳物なのか?
――400年の誇りが宿る
“黒の工芸”の物語
北陸・富山の小さな町、高岡。

この地に、
四百年を超えて火を灯し続ける
伝統工芸があります

――高岡鋳物。
その始まりは江戸時代、
加賀藩主・前田利長公が開いた
城下町の振興策でした。

鋳物師たちは一握りの砂型と、
赤く灼ける千度の炎だけで、
鍋や農具を生み出し、
やがて銅器の花瓶や仏像、
美しい茶道具へと
芸術の域まで昇華させていきます。

明治のパリ万博では
その繊細な彫金や象嵌が
世界の美術愛好家を驚かせ、

「ジャポニスム」の時代を象徴する
存在となりました。

日本三大仏のひとつ“高岡大仏”や、
国宝・瑞龍寺の鐘も、
すべてこの町の職人たちが手がけたもの。

高岡鋳物が誇るのは、
幾世代にも受け継がれてきた職人の“手”。

鋳型づくり、注湯、研磨、彫金、着色
――数十もの工程を専門職がリレーし、
一つひとつ表情の違う、
世界にふたつとない逸品が生まれます。

素材の銅や錫は時を経ても色艶を深め、
分厚い鋳物の茶蓋は、
茶葉を湿気や光、温度変化から守り抜きます。

ほんのり冷たい手触りと、
持った瞬間のずっしりとした重み。

それは、百年を超えて使い続けられる
“用の美”そのものです。

現代では、老舗メーカーが
新しいデザインや技術を世界へ発信し、
その作品はグッドデザイン賞や
国際アワードを多数受賞。

見た目の美しさだけでなく、
鋳物特有のサステナビリティ
――材料も、工程も、地域社会も、
循環し続ける“未来をつなぐ工芸”として
注目されています。

手に取った瞬間に感じる、400年の歴史と、
作り手の息遣い。

“なぜ高岡鋳物なのか?” それは、
一つの茶缶に、日本の伝統と美意識、
ものづくりの誇りが詰まっているからです。

なぜ高岡鋳物なのか?
――400年の誇りが宿る“黒の工芸”の物語北陸・富山の小さな町、高岡。

この地に、
四百年を超えて火を灯し続ける伝統工芸があります

――高岡鋳物。
その始まりは江戸時代、加賀藩主・前田利長公が開いた城下町の振興策でした。

鋳物師たちは一握りの砂型と、赤く灼ける千度の炎だけで、
鍋や農具を生み出し、やがて銅器の花瓶や仏像、美しい茶道具へと
芸術の域まで昇華させていきます。

明治のパリ万博では
その繊細な彫金や象嵌が世界の美術愛好家を驚かせ、

「ジャポニスム」の時代を象徴する存在となりました。

日本三大仏のひとつ“高岡大仏”や、国宝・瑞龍寺の鐘も、
すべてこの町の職人たちが手がけたもの。

高岡鋳物が誇るのは、
幾世代にも受け継がれてきた職人の“手”。

鋳型づくり、注湯、研磨、彫金、着色
――数十もの工程を専門職がリレーし、
一つひとつ表情の違う、世界にふたつとない逸品が生まれます。

素材の銅や錫は時を経ても色艶を深め、
分厚い鋳物の茶蓋は、茶葉を湿気や光、温度変化から守り抜きます。

ほんのり冷たい手触りと、
持った瞬間のずっしりとした重み。

それは、百年を超えて使い続けられる
“用の美”そのものです。

現代では、老舗メーカーが新しいデザインや技術を世界へ発信し、
その作品はグッドデザイン賞や国際アワードを多数受賞。

見た目の美しさだけでなく、鋳物特有のサステナビリティ
――材料も、工程も、地域社会も、循環し続ける“未来をつなぐ工芸”として
注目されています。

手に取った瞬間に感じる、400年の歴史と、作り手の息遣い。

“なぜ高岡鋳物なのか?” それは、
一つの茶缶に、日本の伝統と美意識、ものづくりの誇りが詰まっているからです。

Voice

飲んでいただいた方の声

おもてなしとして

※ご担当者様写真はイメージです

贈り物として

※ご担当者様写真はイメージです

※転売・再販を目的としたご購入は固くお断りいたします。

※おひとり様2セットまで。

©︎STHUTHIY